こんにちは、たねぞうです。たまには軽い寄り道コラムもいいんではないかと思いまして、書き始めました。タイトルがまた、訳の判らないタイトルですが、これは絵本の名前です。書店にいくと絵本コーナーにおいてあるかもしれません。また、小さなお子さんをお持ちの、お母さんたちは、「例のあれね」なんて、覚えていらっしゃるでしょう。
このコラムを書こうと思ったのは、最近アップした投稿(イーオンのALLORNOTHINGさんの投稿)で、「話せることを話す、のではなく、話したいことを話せるようになりたかった」という一文があり、それにたねぞうコメントでは、「まさにその通りです」と書いちゃったのですが、なんとなく、心にずーっと引っかかっておりました。はて、本当にそうなんだろうか?逆に、話せることを話せなくして、話したいことを話せるのだろうか?また、話したいことを話せるのは、それを、話せるからではないだろうか?とか、へんてこりんな思考に陥ったからです。
それと、最近の投稿で、「毎回毎回同じことをやって、面白くない」というスクール批判も結構あります。投稿はこのサイトを支えている宝物ですから、ありがたいと思っておりますし、投稿された皆さんには本当に感謝しております。いつもありがとうございます。
さて、ところで、この「話したいことを話したい」&「毎回毎回同じことをやる」を、ゆーくり子供の母国語習得の過程を思い出して、それに照らしあわせると、どうも、考え込んでしまいました。「消防自動車ジプタ」という絵本。この絵本は、たねぞうは自分の子供に、自分も丸暗記するくらい、(本当に、もう頼むから許してくれと思うくらい)何回も、何回も、何回も読んであげた思い出があります。ご経験をされた方は、ご理解できると思うのですが、いくらわが子とはいえ、「もう一回」が延々と続くと、発狂しそうになります。でも、そこは一応、親ですから、また繰り返し繰り返し読んであげます。心の中では、「いい加減自分で読め!」なんて叫び声がでそうな勢いです。読み終わって、「お・し・ま・い」といい、こっそり逃げようとすると、恐怖の「もう一回」が来るのです。
たまたま、この絵本が大のお気に入りだったのですが、お気に入りの絵本は、どちらのお子さんでも、100回、200回は(もしかしたらそれ以上?)読んでもらっているのかもしれません。
子供には、「飽きるという精神状態はないのかよ〜」と泣きそうになって、それでも、わが子のリクエストとあらば、「はい、もう一回ね」と読んで聞かせます。
また、以前のコラムに書いたこともあるのですが、1才から3才ぐらいの子供の「これ何?」攻撃にも、発狂しそうになります。なんでもかんでも目新しいものを見つけると「これ何?」と聞いてきます。
この言葉「これ何?」という言葉も、「こ・れ・な・に」と聞きたい(話したい)と同時に、「話せるから」クチから出てくるわけですよね。子育てのなかで、寝返りを打ち始め、ハイハイができるようになった赤ちゃんはいろいろな物に興味を示しだし、親は一時も目を離せない時期があります。たねぞうジュニアが、まちがってたねぞうの焼酎を飲んだらとんでもないことになっていたでしょう。そのような時期に、両親は、赤ちゃんが意味が判る判らない関係なく、なにか興味を示したものに対して「○○ちゃん、これなにかなぁ」と話しかけています。その回数たるや、千回を越えるかもしれません。たねぞうもさすがにカウントしたことはないので想像ですけれど。そうやって、赤ちゃんは「こ・れ・な・に」という言葉とその意味することを、インプットしていくんだなぁと、回想し、このコラムを書こうと思いつきました。
このサイトをご覧になっていらっしゃる皆様は、ほとんどが大人だと思います。私も大人です。同じ教材を何回も何回も繰り返し聞くなんて、イヤでイヤで、たまりません。同じレッスンを同じ先生から、答えを丸暗記するまで何回も何回も受けるのも、「ちょっと止めてくれよ〜」と言いたい気持ちも判ります。そんなレッスンをされたら、そのスクールに通う気持ちもなえてしまい、せっかくスタートした英会話も途中で挫折なんてなったら、根も葉もありません。が、捉えようによっては、もしかしたら、(いや、確実に)繰り返し繰り返し「イヤ」になるまで、同じことを繰り返す時期は必要なのかもしれませんよ。大人なのですから、「イヤ」になるのは当たり前。だから、「たまには奥さんをバトンタッチしたい」という男性の気持ちを正当化するつもりは、ありま・・・・・せん。← やっとたねぞうコラムみたいになっきたところで、この寄り道コラムもクローズしたいと思いますが、何かしら読者の皆様が、特に壁にあたって悩んでいる方が、少しでもやる気をだして頂けるとうれしいです。
おしまい
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