パート1でも書いた通り、たねぞう自信は、英語ができない人が「英語で考える」ことなど不可能と思っている。また、最近よくある教材に、英語はそのままナチュラルスピードで聞くべきだとか、「そのまま」を売りにしているものもよく見受けられるが、ある意味正しいとは思うが、よくよく考えるとちょっと疑問もあるのだ。そのような、教材はよく、母国語の修得過程を例えにして、「おかあさんは赤ちゃんに、別に気を使ってゆっくりしゃべったりしないでしょ」などと書いているが、実際の子育ての経験がある人であれば、ん?と思うはずだ。だって、赤ちゃんには、赤ちゃんがわかるように話すように話しませんか?誰しも、赤ちゃんに対して「ニュースキャスターのような口調」で話したり、友達に話すようには話かけないでしょ。赤ちゃんが感覚でわかるような言葉を選んで、意識してないかもしれないけど、はっきりゆっくり話しているはず。
つまりたねぞうの言わんとしていることは、いきなり英語で考えることもできないし、もしそんなことができる英語のできない日本人がいるとしたら、連れてきて欲しいぐらいなのである(ミスターマリックなら可能かもしれないが)。
「英語で考える」ということは、たねぞうなりには「英語で考えられるようになるステップ」やそのための「練習」をしましょうということだと思う。教材などに、よくあるのが「Good
morning」だったらいきなり英語を「おはよう」などと置き換えずにすぐ意味がわかるでしょ、これが英語で考える、直解ということ」などと書いて理論を押し付けているようなものもあるようだが、ちょっと待って、ある意味、正しいとは思うけど、ある意味、屁理屈だと思いませんか?話がまとまらなくなってきました。こういうときは、逃げるに限る!ということで、「英語で考えるパート2」おしまい。うわ〜、このトピック、ヘビーすぎてなんだか収集つかなくなりそう。困った。これだけで、なんかパート10ぐらいまで書けそうだけど、なんとか誤魔化してて(?)パート3でまとめないなぁ。
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